イラン司令官を堂々と討ち取っていない反動の怖さ

米軍の軍事力によるイラン司令官の暗殺。トランプ大統領は、この殺害に「米国人の生命を脅かす状況があったからだ」と、言うが、こんな卑怯な手を取ったせいで事態は、逆に全世界の米国人および米国籍の生命を危険にさらすことになった。トランプは、世界のイスラム教徒を敵に回した。もちろん、アメリカ国内にいるムスリムたちもそうなる。

 イランの英雄をピンポイントで殺したというのは、アメリカで言うと元帥を日本で言うと副首相をピンポイントで殺したに等しい。それも、事前の警告も宣言もなくだ。これを卑怯と言わなくてなんという。ただの暗殺だ。

 世界のイスラム武装組織だけでなく、一般市民を、そういう活動に走らす原因をトランプ大統領は、作ってしまった。これは、イラン一国で済む問題ではない。彼は、世界が認めたテロリストではない。イラクの正式な軍隊の最高司令官だ。倒すのなら、正々堂々と正面から戦うべきだった。ただ、相手を消しゃぁいいってものじゃない。命を懸けて初めて説得力がある行動になることもある。特にイスラムシーア派の、大多数の人々を納得させないで悲しませたのだ。この代価は、高くつく。これは、単にイランの革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官を殺した話しでは済まない話しなのだ。

 アメリカの軍事力は、確かに強烈だ。イラン一国が、軍事行動をとろうが、屁でもないだろう。しかし、普通の隣人だったはずの相手にトランプは、アメリカ市民に牙をむくようにけしかけたのだ。彼は、守るはずの市民の中に、敵が出現するように仕向けてしまった。どうやって彼らに軍事力を向ける。これは、当初の理由のイラク在住の米国市民の問題だけでは済まなくなったと認識した方がいい。

 もう、ソレイマニ司令官は、死んでしまった。死んでしまった者は、これ以上殺しようがない。神社の神さんにしてしまったようなものだ。日本人だったら、この卑怯さをすぐ理解できる。彼らは、これから事件が起きてから青ざめるのだろう。つまり、この事件の後始末は、数年で、かたずくものではないと言う事だ。

 東京に古くから鎮座する神田明神が供養している平将門は、都内の人々に崇敬されている。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれているので、今年も初詣に行ってきた。平将門平安時代の人。未だに語り継がれている。新皇を名乗って討伐されて、首級が京都の七条河原にさらされた人なので、神田明神だと、体しかない。1000年も前の人なのに、今でも語り継がれている人だ。

 トランプ大統領は、ソレイマニ司令官の死をムスリムの人々に、永遠に忘れないように演出してしまった。トランプさんには、トランプさんの言い分があるだろうが、葬式の様子が尋常ではない。ソレイマニ司令官の死は、ムスリムの目に、アメリカの卑怯な手によって殉教した英雄として映ることになった。トランプさん、やっちゃったな。不意打ちも度が過ぎると、怨念にまで発展する。これは、そういった類の事件だ。現実は、もっと大変かな。暫らく注視していきたいと思う。